× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
カンタータ147番といえば言わずもがなバッハ作曲のあれですが、たしかイエスを讃えるための曲でしたかね。
けれど「主よ人の望む喜びよ」という題名からしても、なんとなく僕は侍女を連想してしまいます。それもアンドロイドの機械人形の侍女を。たぶん二重の意味でSFの影響かと思われるわけですが。 人類の技術はだいぶ進歩して、映画でみるような人間みたいなロボットが造れるようになるまであと十数年と言われているらしいです。 で、自分もやっぱりこんなアンドロイドの話のアイデアを考えてみたりするわけですが、果たして彼らに感情はあるものなんですかね。 ちょうど今日、速水もこみちが出演している「絶対彼氏」というドラマが最終回を迎えました。一話と本日の最終話しかみてないんですが、うん、映像より文字媒体のほうが面白かったんじゃないかなと思いました。 覆面企画の作品もいくつか読ませていただいたのですが、そのなかにも『人傘』という存在で生きた機械を描写している方がいらっしゃいましたね。 こんな感じで形式はどうあれわりと使い古されたネタであるにもかかわらず、派生型もたくさんありますし、何度みても面白いテーマだと思います。 たとえば自分の足下にネコがうずくまっている場合、ロボットはネコに対して愛おしいという感情を抱くことはなく、ただネコという種であることの認識だけしかできないはずです。感情はプログラミングするには抽象的ですし、瞬間的に形を変えていくものですから普遍的な定義ができませんから。 しかし本当に機械は感情を抱けないものなんでしょうか。というのも、本来、僕たち人間だってタンパク質の塊に過ぎないからです。身体は著しく複雑ですが、結局は自分たちがそういう物体である以上、機械が金属やらで出来ているのと素材という面についてのみ比較するならば、人間も機械もほぼ同一ではないでしょうか。 それならば人間が感情を露わにする際にも、何らかの明確なプロセスが存在すると考えるのが妥当です。ゆえに同じプロセスを機械に備えさせることができれば彼らとて感情というものが芽生えるのではないでしょうか。 ただ、感情というものは他人から植え付けられるものではなく自然と生じるものではないだろうかという反証を提示されたとしたら、あるいは人為的に感情を持たせることは不可能となるのかもしれませんが。 PR
無題
感情は生物が死ぬことができるから生まれ得るなんて聞いた事があります。恐怖は自己保全、愛情は子孫繁栄のために生まれた感情。脆い「生」を享受するがために生まれたシステム、それが感情なのだと。ロボットの場合、知性を獲得しても、彼らは死ぬことはない存在ですからね。人間で言う魂とか精神は、ロボットでは「データ」でしかない。「魂」は一度消えたら消滅するけど、「データ」はバックアップが効く。つまり、「死」の概念はいくら人工知能が発達してもインプットできないのでは。つまり、彼らに「感情」は理解できないと考えるのですが、どうでしょう?
そしてこの辺のことも思いっきり次回のネタと被りましたわwww
しかし
(教祖さまへの反論)
データにはバックアップがありますが、人工知能が可能になった時、その人工知能が学んだ経験と複製されたバックアップは果たしてイコールで結んでいいのでしょうか? 人間の脳だって突き詰めればデータです。そのオリジナルデータの一回性、といいますか、唯一性というのは認められないのでしょうか? しかし持論反証になってしまうが知性は理性に属するのに対し、愛や恐怖などの感情は本能に属します。果たしてプログラムは本能すらも再現可能なんでしょうか? ……オリジナルデータの唯一性という話をすれば、電脳化された世界という設定も(ありきたりですが)色々面白い考察ができそうですね。 |
カレンダー
フリーエリア
最新CM
[03/12 ガルド]
[02/02 北加チヤ]
[01/04 ガルド]
[12/06 蜻蛉]
[11/29 ガルド]
最新記事
(03/01)
(03/10)
(03/10)
(12/31)
(12/13)
最新TB
プロフィール
HN:
現
性別:
非公開
ブログ内検索
最古記事
(03/27)
(03/28)
(03/29)
(03/30)
(03/31) |